Berryz工房「21時までのシンデレラ」

今日の中学生日記で主人公がユーフォ楽団結成を決意したのは日の当たる楽器・サックスやペットを見返したいという思いがあったからだった。メロディとハーモニーという形で音楽を作る限り、メロディ=主役 ハーモニー=脇役という図式はついてまわる。中学生日記が描いたユーフォ楽団でユーフォニウムは主役になれたのだが、その一方でやはり脇役にまわるユーフォニウムも必要になるのだった。
主役・脇役図式以外の方法で音楽を作ることはできないものか。
みんなが主役=メロディをやればいい。といっても、ユニゾンではつまらない。複数のメロディが同時進行する音楽。メロディとメロディが絡み合って進んでいく音楽。バッハの楽曲とか、それに先行するいわゆる古楽とか。「かえるのうた」のような輪唱曲だって、まあ、そんな音楽だろう。
主役・脇役タイプをコーダルな音楽、全員主役タイプをモーダルな音楽と捉えるのもいいかもしれない。ただし、とてもアバウトな感じで、だが。
こういうことだ。主役・脇役タイプ=平面としての音楽、全員主役タイプ=線としての音楽。
主役・脇役タイプではメロディだけでは平面を埋められないのでハーモニー(伴奏)が埋め草にならなくてはならない。たとえば、白玉シンセ(音色はストリングス)みたいな。たとえば、ルート音を弾きつづけるベースみたいな。
全員主役タイプはメロディとメロディとメロディと。埋め草パートはいないが、その分厚みは出ないだろう。
このふたつのタイプに関しては、どちらがいい、悪いというような話ではない。方法が違う、それだけのこと。ただ、現在普通に聞ける曲は主役・脇役タイプがほとんどだ。だから、現在の音楽にある種の限界を感じるのなら全員主役タイプを試してみるのはひとつのやりかたに違いない。
さて、Berryz工房の「21時までのシンデレラ」。この曲は全員主役タイプだ。それがとても効果的に機能している。各パートが絡み合い立体的に曲の姿を作り上げていくさまは、何度聞いてもぞくぞくする。そこにはこの曲ならではの限界をうちやぶる力がある。
だからぼくは「21時までのシンデレラ」という曲が好きなのだ。